Design Documentation
私が所属している「芸術工学会」はデザインについての基礎的学問である「芸術工学」の確立を目差し、またデザインに関する学術的交流の拠点として1992年に設立された学会です。
この度「芸術工学の今日的意義と課題を再考する」という題目で編集された2015年度春期大会の会誌に「持たない時代の芸術工学を巡る私的覚書」と題したエッセイを寄稿しました。
断捨離、ミニマムライフ、シンプルライフといった言葉がメディアに溢れる今日における芸術工学、デザインの役割について再考するヒントになりそうな社会現象をまとめてみましたのでご紹介します。
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持たない時代の芸術工学を巡る私的覚書
「ものは少なく、幸せは多めに」と説いた作家・デザイナーのグラハム・ヒルや、著書『週4時間だけ働く。』がベストセラーとなった作家ティモシー・フェリスのミニマムなライフスタイルに象徴される様に、大量消費社会から距離を置き、モノに執着せず、コトに価値を見出した所謂「21世紀型シンプルライフ」を提唱する者が先進国では増えている。その背景には2008年8月に起きたリーマン・ブラザーズの経営破綻による余波がもたらした生活の変化や、日本では2011年3月に起きた東日本大震災や福島第一原発事故による影響などが挙げられる。カメラも本も音楽も全てポケットに収まるテクノロジーの恩恵も後押しして、それまでより多くのモノを所有することが豊かであると考えていた人々が、こうした変化を契機にふと立ち止まり、部屋を占領してきたモノの価値を問い直し、モノを手放しているのだ。モノを持たず、モノに執着しない時代における芸術工学の役割とは一体何であろうか?
「スターバックスコーヒーなど高くて不味い」。アメリカのポートランドやカリフォルニア、ニューヨークを中心に起きている新しいコーヒー文化「サード・ウェーブ」とは世界各地の農園から高品質のコーヒー豆を直接仕入れ、ローストや淹れ方にとことん拘ったインディペンデント系コーヒーショップのムーブメントである。いつでも何処でも同じ品質のコーヒーが飲める大量生産型ではないこの様な動きは「個人の時代」といわれる今日を象徴している。
街にはファストファッションの店舗が増える一方で、衣食住をコンセプトとした個人経営のライフスタイルショップも増えている。決して安価ではないが、選びすぐりの素材を用いた作家の作品やオーガニックな食材などが少量並んでいる。作り手や経営者のモノに対する姿勢やモノに纏わるストーリーが大きな魅力となっている。モノの外見だけなく、内側にある生産過程や製品コンセプトに対しても価値を見出すこうした動向からは、「コト」も含めたトータルなデザインとそのプレゼンテーションの重要性を感じ取ることができる。
近年、米国の若者を中心に「ノームコア」と呼ばれるファッションが流行している。ノームコアとは「ノーマル」と「ハードコア」を組み合わせた造語で、見た目を重視した派手で装飾的なファッションではなく、カジュアルかつシンプルで機能的なファッションを志すというスタイル。外見で他人との差別化を図るのでなく、むしろ同一性を受け入れ「究極の普通」を求めるという新たな動きは、SNSやブログなどインターネット上で自己表現が可能となった今日におけるカウンターカルチャーの様にも見えるが、記号消費から機能消費への変化とも考えられる。
モノや情報が氾濫する今日、「いかに収集するか」よりも「いかに減らすか」という能力の方が寧ろ重要なのであろう。何故ならそれはモノの本質を問う上で、自身と向き合うことになるからだ。先述の例を見ると、本質を見極めていかに無駄を減らすかという能力は作り手にも問われているといえそうだ。流行に乗った大衆を対象とした大量生産という考え方だけに依らず、ユーザー個人の要望に適合する様な多様性が備わったモノや、またモノを通じたユーザーとの内的距離の創出などが作り手には求められており、モノ作りについてさらに吟味してゆく必要がある様だ。
1992年11月に記された本学会の設立の趣旨には「今日、技術は既に日常環境の中に融け込み」とあるが、2015年を迎えた今、技術の発展が引き起こす生活の変化は留まることなく、近年ではウェアラブル端末を筆頭にテクノロジーはポケットの中から頭や腕といった身体へと徐々に近づいてきており、「人間性の回復、技術の人間化」を改めて問い直す時期に差し掛かっている。皮肉な流れではあるが、骨髄に通じているのではと期待しながら注視している。
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