勝見勝と小池新二のデザインにおける綜合化の取り組みのインフォグラフィック(ダイアグラム)をエジマデザインが作成しました -エジマデザイン- 江島 快仁

Inforgraphics

sougouka diagram

デザイン評論家、教育者 小池新二(1901~81)とデザイン評論家、デザインディレクター 勝見勝(1909~83)は同時代を過ごし、日本の近代デザインの牽引者として大きな足跡を残しました。両者は東京帝国大学文学部を卒業したデザイン評論家であるという共通点がありますが、主な幾つかの接点を除き、密接な交流は殆どありませんでした。先輩として、後輩として、互いに意識はしていたに違いありません。

このダイアグラム(diagram)は、「綜合化」という観点から戦後の1950~1970年における両者の取り組みについて対比的に視覚化し、「デザインにおける綜合化」の変遷を辿ることを目的として制作しました。

小池 新二 こいけ しんじ

デザイン評論家、教育者。1901年11月23日生まれ。東京帝国大学卒。1931年、自宅に「国際文化情報文献中央局」を構え、欧米を中心とした建築や工芸に関する文献の収集及び書評による紹介に従事する。1936年に結成された「日本工作文化連盟」に建築家の岸田日出刀、佐藤武夫と共に理事として参加。会長は黒田清、理事長は堀口捨己であった。1942年、著書「汎美計畫」を発刊。1950年、千葉大学工芸学部の教授に着任。1965年、著書『デザイン』発刊。1968年、九州芸術工科大学の初代学長に着任。「芸術工学」という学問領域の確立に尽力した。1981年5月4日永眠。79歳。

勝見 勝 かつみ まさる

デザイン評論家、デザインディレクター。1909年7月18日生まれ。東京帝国大学卒。商工省工芸指導所に勤務した後、1944年、著書『手と造形』発刊。1950年、毎日産業デザイン賞審査員を担当。この頃から美術・デザイン評論を多く手掛けるようになる。1954年に開校した桑沢デザイン研究所では、講師の人選やカリキュラムの編成を推進。1966年に誕生した東京造形大学の設立にも携わった。1953年より季刊誌『グラフィックデザイン』を発刊。日本デザインコミッティーの設立(1953年)に参加。1960年に東京で開催された世界デザイン会議の開催推進に協力、「実際性」部会議長を担当した。1964年の東京オリンピックではデザイン専門委員会委員長を務めた。1983年11月10日永眠。74歳。